Vapor Trail

明るく楽しく元気よく

『小さなチーム、大きな仕事 働き方の新しいスタンダード』を読んだ

著者はRailsの開発者のDHH、Basecampの創業者のジェイソン・フリード。

 

きっかけ 

1:10の確率で1億円のビジネスを作ろう。遠い昔には1億円は大金だった時代があった。(会場、笑)僕は、今でも1億円は大金だと思う。でもここに来てるようなVCたちはみんな1000億円とか300億円クラスの会社の話しかしない。

 

2,000人の顧客に毎月4,000円課金する継続課金サービスで12ヶ月、これをかけ算すると年間1億円になるね! 

 www.turnyourideasintoreality.com

 

DHHは以前から知っていましたが、この記事で話されている内容が非常に地に足がついている考え方で興味を持ったので読むことにしました。

 

ビジネスを無理に拡大しない

IT系のスタートアップというとGoogleFacebookNetflixを目指してどんどん人を雇って立派なオフィスにしてとビジネスをスケールしていくイメージがありますが、Basecampを知ると堅実に無理に会社を拡大しないというやり方もあることがわかります。

彼らはフォーチュン500に売り込む必要があるという。知ったことか。僕たちはフォーチュン5000000に売っているのだ。

DHHは会社の規模に関係なく持続的で利益の出るビジネスをしていれば誇るべきことなのだと言っています。コロナウィルスの影響によってIT企業ではリモートワークがデフォルトになりつつある今では、固定費は頭痛のタネとなりつつありますし。

小さな企業はもっと大きければと願っているのに、大企業は身軽であることを夢見ていることに気づいているだろうか?

自分が作っているモノに愛着を持つ

大きな仕事をするには、何かを良くしているという感覚が必要だ。世界にささやかに貢献している、あなたは重要なものの一部である、という感覚だ。これはガンの治療法を発見しなければいけないという意味ではない。自分の努力に価値があると感じる必要があるということだ。顧客に「私の人生を良くしてくれた」と言ってもらいたいはずだ。していることをやめたら、みんなに気づいてほしいはずだ。

最近仕事がつまらないと感じるのはなぜなのだろうかと考えることがあり、自分の作っているものが誰の役に立っているのか実感が持てないからだと気づきました。自分の作っているモノがなにかを良くしているという感覚って大事だなと、逆にその感覚がない場合作業でしかないのです。

すごい製品やサービスを生み出す最も単純な方法は、あなたが使いたいものを作ることだ。自分の知っているものをデザインするのなら、作っているものがいいかどうかすぐに判断がつく。

ビジネスを立ち上げるなら、その核は変わらないものであるべきだ。人々が今日欲しいと思う、そして一〇年後も欲しいと思うもの。そうしたものにこそ力を投入すべきだ。

SES・受託開発よりも自社開発のほうが人気な理由って、結局自分が作っているモノがダイレクトに人の役に立っているという感覚を得やすいからな気がします。もちろん待遇が良いとか理不尽なことが少ないという理由のほうが遥かに大きいとは思いますが。

よくサービス業の求人とかで「お客様の笑顔がやりがいです」「お客様のありがとうがやりがいです」などと書いてあったりしていて今までは嘘くさいな、綺麗事だなと思っていたけど、結構真理なのもしれない。

やりたいことがあるのなら言葉ではなく行動で示す

 これは自分自身でも耳が痛いのですが、「やりたい」「興味がある」けど「時間がない」という人は、本当はやりたくないのです。

 一番多い言い訳は「時間がない」だ。会社を立ち上げたい、楽器を学びたい、発明を売り込みたい、本を書きたい、しかし十分な時間がない、と人は言う。そんなわけはない。正しく使えば時間はあるものだ。仕事をやめなければと考える必要もない。普段の仕事をしながら、夜中にプロジェクトをスタートさせればいい。

始めてみればその興味が本当なのか、それとも言ってみただけだったのかすぐわかる、続くのであればその興味が本物で、続かないのであれば合わなかったのだなと知ることができます。

 

経営について

外部の資金を調達するということは自分たちのコントロールを失うということ。

 

やることを減らす

失敗するレストランのメニューにはあまりに多くの品が載っている。自分のコアを見つけてそれに注力する。

 

考えグセを無くす

一時間かかる会議を設定し、参加者を一〇人召集したとしよう。これは実際には一時間の会議ではなく一〇時間の会議である。一時間の会議の時間と一〇時間ぶんの生産力を交換しているのだ。

 

できるだけ「これについて考えよう」ではなく「これについて決断を下そう」と思うことだ。決断する姿勢を持つことだ。完璧な解決を待たず、決断して前進するのだ。